あえて見ないアニメ版「ジパング」

秋辺りから、講談社が出している漫画雑誌「週刊モーニング」で連載されている「ジパング」という作品が、連載終了を待たずにアニメ化されて放映されている。
そして、時間差をおかれてCSの「アニマックス」でも放映が始まった。
(連載中か、終了かの違いはあるけど、この方法は少し早めに始まった浦沢直樹原作「MONSTER」と酷似しているが、あえてそうしたのかもしれない)
ジパング(1) (モーニング KC)  ジパング(2) (モーニング KC)
ジパング」は、”かわぐちかいじ”作品の中でも同著作「沈黙の艦隊」のキャラクターとのイメージのだぶりが度々起きるのが、私の感想だ。
しかし、やはりイメージが私の中で重なる事が起きるだけで、全く別キャラクターなのだとも毎回再認識させられている。

問題として感じているのは、アニメ版「ジパング」の演出だ。
ただでさえ「日本の軍事力保持・海外派兵(PKFとしてではなく、だ)」が問題になっている現代に、この作品の演出はやり方によっては作者の意図を離れて、「戦闘行為の美化」から「戦闘の非人道さ」までのベクトル上の、どちらかの片端で表現する事が可能だという危機感がある。
ちょっとだけ、オープニングと本編を見てみたが、主人公の一人「角松」の声は(もう一人の主人公は日本帝国海軍将校「草加」の二人と認識している)、私が想像している原作の角松よりも存在感がくっきり感じられた。
これには先ほどの危機感を感じた。「角松」の「(声優さんの)声」がこの作品の存在感に大きな重みを持たせられるだろう事を考えると、あまりに存在感のある声(声優さんの起用)で演出効果も高くなるだろうと思えた。
また、オープニングの描写も、戦艦「おそらく大和の46インチ砲と思われる」の主砲の動きや、”うみどり(現代ではまだ採用されていないオートジャイロの戦闘ヘリ、とでもいうのだろうか。ちなみに”みらい”には「トマホーク」が搭載されていた)”の描写に躍動感が感じられた。
これは演出効果の常套なやり方だとは思うが、OPであるので作品の演出方向の一片だとも取れる。
原作を開始時から読んできて、これに私なりの「危機感」を感じた。原作では、最新鋭イージス艦”みらい”が「角松」の指揮下にある時は、あくまで「専守防衛」を貫いてきた。戦闘が避けられない場合では、「攻撃相手(敵という認知ではない)の死傷者が最小限に食い止められる戦術」を、ハイテクノロジー艦であるにも関わらずに危険を冒して自制しながら行ってきた(原作の現時点では「角松」が不在の状態の元、日本帝国海軍に協力して積極的な攻撃を行っている。その戦闘行為はまるで”ハイテクノロジーを駆使した一方的な虐殺行為”に感じられた)。

私は原作のファンであるので、「見比べる」という方法もあるのだけど、この作品に関しては「アニメ版」は避ける事にした。
純粋に、原作の意図を感じたいだけ、という理由からで、もしかすると余裕のなさなのかとも思う。
また、作者が連載開始時に対談で発言した中に、長期連載として「沈黙の艦隊」よりも長く(これは全32巻だった)「戦中編」「戦後編」を考えていると言っていたので、「アニメ版」はこの「戦中編」で終了してしまうだろうと予想してもいるからだ。

逆に、浦沢直樹原作の「MONSTER」は原作の意図を汲みながら、見応えのある「アニメ版」を放映しているように思える(制作会社が以前に「MASTERキートン」を手がけていた事があったからかもしれない)。
Monster (1) (ビッグコミックス)  MASTERキートン (1) (ビッグコミックス)
果たしてアニメ版「ジパング」は原作の意図を十分に汲む事をするのだろうか?陰ながら評判は聞いていこうと思っている。