肌の記憶の共有の苦難さ

肌で体験した事は、強く記憶に残るようだ。しかし、視覚だけで見た記憶は、忘れやすい。
この溝の深さは、とても深刻であると同時に、災害対策にも庶民レベルで大きな陰を落としている気がする。
1995年の神戸市の惨状は「明日は我が身」。
中越地方で起こった去年の大地震は、大都市への警告の序章なのかもしれない。