2005-01-03から1日間の記事一覧

肌の記憶の共有の苦難さ

肌で体験した事は、強く記憶に残るようだ。しかし、視覚だけで見た記憶は、忘れやすい。 この溝の深さは、とても深刻であると同時に、災害対策にも庶民レベルで大きな陰を落としている気がする。 1995年の神戸市の惨状は「明日は我が身」。 中越地方で起こっ…

災害対策への無関心

「私の住んでいる所は大丈夫」という「私だけは」という深層心理が、災害対策への「無関心」を露呈しているのかもしれない。 そういえば、長い歴史の中では、大きな戦と戦の間には、貴族や芸術の繁栄があった。そして、周期的に秩序と混乱が訪れていた。 災…

無関心の怖ろしさ

無関心は、いくつかの場面で恐ろしい威力を発揮する。 子育ての場合、子どもに「無関心」でいる事を「ネグレクト」という。本来は「養育放棄」と訳される単語だが、本質は「無関心」だ。精神的ネグレクト、という在り方も一見「溺愛」と見れる場合に存在する…

「共感力」と「想像力」

そう考えると、「観望者達」にいかほどの「共感力」と「想像力」があるかが常に問われているのかもしれない。 しかし悲しいかな、人間の想像力は限界があるのだろうか・・・?それとも、共感しようという意欲が日々の生活に吸い取られてしまっているのか?「…

犯罪被害者とニュースを聞く大勢の人々

身近な例では、不幸にも犯罪に遭った人と、そのニュースを聞くその他大勢の人々との間の、感覚の大きな溝がある。 だからこそ、被害に遭った人やそのご家族に、大変ストレスを与える突撃インタビュー等を「民衆が知りたいから」という名目で行えるのだろう。…

対岸の火事

そういえば、9.11の時、現場では必死で救助活動をしている最中に、日本のある民放の女性有名アナが「どうして起きてしまったのでしょう」という発言を聞いて、大変な嫌悪感を覚えてすぐにCNNに切り替え直した事があった。私には、「今は原因を追及する以前の…

TVで見る現場と生の現場

2004年12月26日のスマトラ島沖地震の大津波被害は、私の悲観を更に上回る惨状であることが次々と報道されてきている。 少なくとも、津波による1〜2世紀内の被害の記録では、最悪のものだという。 (下記は http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/ から見つけたコ…