なぜ生きているのか

alphalook2005-04-23


私は、偶然受精したらしい。
母は数年間、実の父を別の人物と想っていたらしい。
混沌の出生。
両親に振り回されて、数回も転居した。拉致あり騙しあり。子どもの人権なんてお構いなしの手口。
おかげでかけがいのない幼友達や心許せる友達を突然なくした。
親の都合で、親戚の一人から悪口を言われていたのにそれが分からなかった。方言を知らなかった故の救い。
しかし反動は当の親からやってくる。自業自得かもしれない境遇に陥ったのは、誰のせい?


後に知り合った友人から言われた。「愚れてもおかしくなかった」。
なぜぐれなかったのだろう。私自身には分からない。ただ、騙された事を知らずにいつか帰って会えると想っていた親しい友達が心の支えだった。
子どもの時期の時間感覚は、大人よりも残酷なくらいに長い。まるで拷問のように。
周りに溶け込めずに過ごす日々は、心に大きな影を落とした。


大人になった今、その「在り方」を分析・解釈する術を身につけた。
それから導き出される事柄は、救いか果たして絶望か。
たった一つだけ確かなのは、どんな結果だろうと一人で孤独を受け入れなくては生きていけない事。
それに耐えられなくなったら、おのれの生を保てなくなるという事。


おのれの存在とは、肯定と否定のせめぎ合い。
運で命を落とす人もいれば、すんでの差で助かる人もいる。そんな目に遭わない人もいる。
こんな人が早死にするなんて残酷だ、という人もいれば、なんでこんな人がのうのうと生きているのだ、と憤りたくなる人もいる。
人の生き死は運次第。
そして、苦悩というせめぎ合い。


人の生は矛盾だらけ。