哀しき存在証明の欲動

alphalook2005-04-25


日本のblog(Weblog)は、所詮「インターネット日記」と見なされているらしい。
確かに、私もそれに同意する。
私がこうしてここにこの文章をInputしているのも、突き詰めれば「日記」なのだから。
それも、紙媒体の、自分しか見る事のない、いや、永遠に自分さえ見る事のない日記とは違って、不特定多数の中の誰かに見てもらえる事を期待してInputしている、「公開日記」という、性質の異なった日記のかたち。
存在しているという事の証だけを認知してもらいたいだけの、身勝手な行為。
根本には、「僕を見て・私を見て・存在を認めて」という、哀しき叫びの欲動。
現実社会の孤独を補完する為の行為、という指摘もまんざら外れてはいないだろう。
現実社会。都市部。郊外。地方都市。農村部。過疎地。どこにいるかでその意識は違うだろう。少なくとも同じではない。都市部で生活・勤労している人が、農村部で生活・労働している人の意識を共有できるか?を問う事自体がずれているように。
私の意識は、この場所で、こうしている。誰とも違う、私自身の意識。
ネットの中に、独り言という日記を「書く」ことで、自分自身で存在を確認しているのかもしれない。
歪んだ鏡を観るように。
きっと、これを読んだ方は「暗い」「メンヘル(2ちゃん用語)系だな」などと思っているかもしれない。
辛辣な人は「自己中」とさえ投げかけるかもしれない。
ネットは現実社会の集団の中よりも感情を想起しやすい性質があるらしい。腕力のない人でも、「暴力的な言葉」を投げかける事ができる。身体に関係なく、性別に関係なく。
しかし、こういうのも、視点の一つに過ぎないのではとこれを書いていて気づく。
人の悪意への防衛を自覚する。
世の中にはいろんな感情を表す方々がいる。一人一人が「ユニーク」な存在な視点に気づく。


段々、主題が逸れていく。それもまたよし。自己満足のためのひとりごとなのだから・・・